今回のNYC Short trip、クラスでも仲の良い連中たちと長い時間を共にした。楽しい時間を過ごす事が出来、改めて自分の足りないところに気付くきっかけにもなった。
自己主張と謙遜。素直さと自己主張。
まだまだ足りない自己研鑽。
インド人やアメリカ人なんていうアグレッシブな連中とチーム組んだり、授業で発言する時、正直今の自分には余裕がない。自分の知ってる知識をただただ言い放つ、相手のlogicの欠如を突く、自分のideaをdefenceする。。。ただただ自分の存在をアピールすることを目的とした、そんなコミュニケーションになっていた気がする。
今回のNYCtrip、メンバーの大半はアジア人。だからこそ、自分達のペースで楽しい時間が過ごせたわけだけど、そこに無意味に自己主張をする自分を感じてしまった。
こういう自己主張、それをする心意気。これはこれで必要な事なんだとも思う。謙虚さを美徳とする日本人が、ただ声の大きいインド人と同じステージに立って渡り合うには。
でも、自分はなぜそんなことをするのだろう?
良い成績を取るため?相手に認めてもらうため?それとも、ただただ自分が楽になるため?
よくわかんないけど、こういうのって自分の素直な気持ちではない気がする。
じゃあ、素直さってなんだろうか?
純粋に知りたいと思った事をそのまま相手に尋ねたり、、、やりたい!と思った事を相手にお願いしたりする事なのかもしれない。
ある友人の、そのまた友人のblogに下記の引用が掲載されていた。
無意味で、薄っぺらい自己主張なんかよりも、恐怖心を捨て自分に素直になる事こそが、日本でも世界どのででも通用する本当の意味での自己主張なのかもしれない。。。
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誰でも、自分の要求をはっきりと言葉に出すことには抵抗があるのです。手に入れようと思ったものが手に入らず、あげくに本心だけをさらけ出してしまうという状況には、誰も自分を置きたくありませんから。
というわけで、私たちはもう少し迂遠な方法をとります。
正論を言う
暗にほのめかす
間接話法を使う
代弁してもらう
交換条件を用意する
しかしこれらの方法をとることにより目の前のリスクは回避できますが、リクエストする側の「要求」が満たされる確率は低く、時には関係を混乱させてしまうこともあります。
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もちろん、断られたり拒絶されることもあります。それは当然ありうることなのです。リクエストしたら断られることもあるに決まっています。断られたところ
からすべては始まります。何でもすんなりいくという幼稚な「シナリオ」を捨てて、要求したら断られることが多々あるというスタンスに立って、再度要求しま
す。毅然として要求します。要求することを恥だとする文化も残っていることは事実ですが、それでも要求する力を持つことをコーチは選びます。
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人のリクエストの全部に答えることなどできません。しかし、どんなリクエストがあるのかを聞くことで、その人によりよい提案や情報を提供することはできます。
また、人はリクエストを受けることで、自分でも気がついていなかった能力や可能性を見出す機会を得ます。いうまでもなくリクエストは、人を行動に駆り立てます。人は基本的に、誰かのリクエストに応えて行動を起こすものなのです。
人にお願いしたり、人に要望することに対して否定的な考えを持っている人や、頭ではわかっていても自分からお願いしたり要望することはしない人たちが実は
多いものです。それは、お願いしたり要求するのは「弱い人間のすること」というイメージやガイドラインを持っているからでしょう。
けれども、実際には、勇気と自己信頼、他者への信頼があるからこそ、人は、お願いしたり要望したりできるのではないでしょうか。
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