昨晩、先々週に引き続いて、日本映画を見た。
同じく、是枝監督の作品。タイトルは、”Distance”。
自分の価値観、考え方をstretchできる映画だった。
下記、『ディスタンス』製作委員会のwebよりの引用です。
『幻の光』(95)、『ワンダフルライフ』(98)で人の心のありようを誠実に描き、海外でも高い評価を得てきた是枝裕和。その眼差しは生と死、喪失と再生、事実と虚構―そんな曖昧な境界線上にただよう人々に向けられてきた。最新作『ディスタンス』は、殺人事件の[加害者遺族]を物語の中心に据え、宗教をめぐる[ある一線]を超えてしまった人々と、[こちら側]にとどまった人々との心の距離を真摯に見つめる、繊細で残酷な物語である。
夏の日。山あいの小さな湖に向かう4人の男女。彼らは3年前に世間を騒がせたカルト教団による殺人事件の[加害者遺族]たちだった。年に一度だけ集まり、遺灰が瞑るその湖に手を合わせるのだが、その年、あるアクシデントから元信者だったという男とともに、かつて信者たちが暮らしていたロッジで一夜を過ごすことになる。彼ら5人は、今まで目を背けてきた[記憶]と、そして自分自身と向き合うことになる。あれから3年。歩いてきた道は間違っていなかったのだろうか。果たして私たちは何か確かなものを手にすることができたのだろうか・・・と。
[加害者遺族]という複雑な心のありようを等身大の言葉で表現するのはARATA、伊勢谷友介、寺島進、浅野忠信ら、今までも是枝作品を支え、日本映画を突き動かす原動力となってきた魅力的な俳優たち。さらに夏川結衣、遠藤憲一、りょう、中村梅雀ら個性的な仕事が光る俳優たちが物語に深い陰影を与えている。
『ワンダフルライフ』でも印象的だったドキュメンタリーとドラマの新しい接点が、ここでも登場人物の豊かな造形につながっている。キャストに手渡された脚本はそれぞれの出演部分だけで、相手の台詞は書き込まれていない。俳優たちは物語の方向性と人物設定だけを知らされ、脚本には書き込まれていない多くの部分を彼ら自身の感性や言葉で形作っていった。
俳優たちの真剣な、時として奔放な言葉、動き、感情を受け止めたのはドキュメンタリーの名手、山崎 裕。ほぼ全編手持ちカメラで機動性を重視。一切の人工照明を排し、自然光だけで登場人物の心の動きを追っている。
音楽は全く使われておらず、観客はまるでもうひとりの旅の参加者であるように、水の音や蝉時雨、都会の騒音、そして5人の息遣いをリアルに体感することになる。 家族を喪った悲しみと、身内から犯罪者を出してしまったという罪悪感。そんなやり切れない思い、心の痛みを背負った[加害者遺族]と私たちの距離は、それほど遠いものではない。暴走し、[一線]を越えてしまった彼らを生んだ社会は、私たち自身もまた、よりかかっている社会なのだから。
『ディスタンス』は、信じるものをもたない人間の漠然とした生への不安を描く、同時代性と普遍性に満ちた作品である。
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